2005年07月31日

三山形成前史(2)

琉球列島全域に流通したカムィヤキ・石鍋は何を物語るのでしょうか。カムィヤキの大規模生産の開始は日本・高麗陶器の製作技術、窯の建造・運営などの高度なノウハウがあり、さらに完成した陶器を琉球各地で売買するための海運・航海技術を持った組織的な集団がいたことを意味します。長崎産の石鍋についても、九州から琉球列島にかけて石鍋を交易品として売買を行う商人がいたことを意味します。石鍋は琉球の人々にとって羨望の高級品だったようで、石鍋をそっくり真似た土器が数多く作られるようになります。外部からのインパクトが大きかったことがうかがえます。

11世紀頃(日本では平安時代)に書かれた『新猿楽記』には、東北地方から「貴賀が島(鹿児島県の硫黄島または喜界島。中世日本の西の境界を象徴的にこう表現した)」を往来する八郎真人(まひと)と呼ばれる商人が登場しますが、彼に象徴されるような広域を移動するヤマト商人と、琉球を本拠地にした商人たちが互いに交易を行っていたとみられます。鉄器もこのような交易で琉球に入ってきたことでしょう。

琉球が外部から受けた変動は、当時の東アジアの国際環境と連動するものであったと考えられます。10世紀、宋代中国の商業発展によって、宋の海商は日本や高麗、東南アジアやアラビア海まで進出し活発な交易活動が行われました。宋海商は日本にもさかんに来航し、博多には「唐坊」と呼ばれるチャイナタウンが形成され、陶磁器などがもたらされます。琉球でもごく少数ですが12世紀以降、南宋の白磁碗が入ってきたようです。ただしこの時期の宋と琉球は、後の明との交流と比べるとそれほど活発ではありませんでした。交流のメインルートは、朝鮮半島・九州から琉球列島に伸びる航路だったとみられます。

さらにグスク時代に入ると琉球列島人の形質も中世日本人のものと近くなっていきます。最近の遺伝学や形質人類学の研究では、琉球人と縄文人・アイヌ人の関係は実は遠いものであったことが明らかにされています。グスク時代の“大交流時代”の到来を通じて、先住民と渡来者が融合し、琉球列島に住む人々も大きく変化していったのです。  

Posted by トラヒコ at 21:51Comments(2)TrackBack(0)グスク時代

2005年07月31日

三山形成前史(1)

「グスクの海」の時代を見る前提として、まずはじめに三山が形成されるまでの時代を簡単に見ていきたいと思います。漁猟採集が中心だった貝塚時代の沖縄は11~12世紀頃になると大きな変動を迎えます。「グスク時代」の始まりです。農耕と鉄器使用が開始され、各地の共同体から「按司(あじ)」と呼ばれる首長が登場して、やがて琉球の「戦国時代」に突入します。

これらの変化の背景となったのは、かつてないヒト・モノの“大交流時代”の到来でした。この時期、琉球列島全域で「カムィヤキ」と「石鍋」という商品が流通しはじめます。カムィヤキ(亀焼)は灰色の陶器で「類須恵器」とも呼ばれ、中世日本の陶器や朝鮮半島の高麗陶器とよく似た特徴があるといわれています。11世紀から14世紀頃まで徳之島で大規模な生産が行われており、鹿児島県から与那国島までの広い地域で流通していました。カムィヤキは琉球史上初めて琉球で生産された域内向けの商品でした。石鍋は11世紀頃、長崎の西彼杵(そのぎ)産の滑石と呼ばれる石で作られた高級品で、西日本を中心に関東まで使用されていましたが、これが琉球列島の波照間島まで流通するようになります。

それまでの琉球列島はヤマト(日本本土)地域につながった《奄美・沖縄地域》とフィリピン・台湾など東南アジア地域との関連があるとされる《先島地域》に文化圏が分かれ、両者には全く交流がありませんでしたが、11世紀頃から二つの異文化圏が一つの文化・経済圏として成立することになったのです。この「琉球文化圏」は、後の琉球王国の領域とも重なる領域として注目されます。もちろんこの文化圏は画一的なものではなく、各地域にそれぞれの独自性を持っていました。つまり圏域全体がゆるやかな形で結びついていたと言えます。

グスク時代以前にも琉球列島から赤木・夜光貝などを交易品として、不定期にヤマトの律令国家へ「朝貢」するなどヤマトとの交流は行われていたようですが、質量ともに飛躍的に増大するのは12世紀頃になってからです。ちなみに南島人の律令国家への「朝貢」をもって琉球列島が「日本」の領内だった、と主張することはできません。琉球列島にヤマトの国郡制は設置されず実効支配は行われませんでしたし、自国中心主義をとるヤマト国家は、朝鮮半島の新羅使節や大宰府に来航する中国商人すらも「朝貢」のニュアンスでとらえていました。ここから朝鮮半島や中国まで「日本」だったと主張することはできません。南島人は交易がメインだったのであって、あくまで名目的な「朝貢」だったと考えるべきでしょう。(つづく)
  

Posted by トラヒコ at 14:02Comments(5)TrackBack(0)グスク時代

2005年07月23日

このブログは…

このブログは「グスクの海」公式ブログです。物語の舞台となる琉球の三山時代~第一尚氏時代の実像を探っていきます。

三山時代といえば、沖縄本島で北山・中山・南山の三つの勢力が争った琉球の戦国時代、三国志のような時代として知られています。やがてこの中から按司(あじ)のひとり尚巴志(しょうはし)が台頭して三山を統一し琉球王国を成立させ(第一尚氏)、やがて悪政を行った尚徳王に対して家臣の金丸が王位を奪って新しい政権を樹立する(第二尚氏)、というのが皆さんの知る歴史でしょう。

実はこのような歴史観は『中山世鑑』や『球陽』などの近世(江戸時代頃)に書かれた歴史書をもとにしています。歴史書は実際に尚巴志たちが活躍していた時代から200年、300年たって書かれたものなのです。内容の全てが誤りというわけではありませんが、これらは後の時代の人々の考えや視点のフィルターを通して書かれている点に注意する必要があります。

尚巴志たちの生きていた当時に書かれた史料をもとにした歴史のほうが、より信頼できるものであることは言うまでもありません。最近の琉球史の研究では、このような当時の史料(同時代史料といいます)にもとづいて、これまで知られていなかった三山~第一尚氏時代の新たな事実が次々と明らかにされていますが(それでもまだ謎が多すぎますが)、一般の人たちにはあまり広まっていないように思います。

そこで本ブログでは尚巴志たちの生きた時代を確かな同時代史料や研究・考察にもとづいて、より新しい視点で描いていこうと考えています。「グスクの海」制作のための参考にするのが主な目的なので、少々マニア向けになってしまうかもしれませんし、内容を「グスクの海」の全てに反映させることも不可能かもしれませんが、「グスクの海」のオマケ的な存在として気軽に読んでいただけたらと思います。

こちらのてぃーだブログ版「グスクの海-Ocean of Gusuku-」もよろしくです。  

Posted by トラヒコ at 20:07Comments(4)TrackBack(0)お知らせ