2006年02月06日

第一尚氏王朝の官制

1429年、琉球を統一した尚巴志の政権は「第一尚氏王朝」と呼ばれています。この政権はどのような政治組織で運営されていたのか、確認できる範囲で解説したいと思います。

特徴として挙げられるのは、政権の中枢に華人たちが多く登用されていることです。琉球王府という名称も先に述べたように中国の王府制度を模倣したものでした。もちろん、琉球土着の按司層らもそのなかに参加していましたが、彼らは自らが領有する地域のグスクに拠点を持っていたので、完全に中央組織に取り込まれてはいなかったようです。

第一尚氏王朝は、「佐敷按司時代からの尚巴志グループ(中山王側近)」+「久米村の華人集団」+「各地域の按司連合(護佐丸、阿麻和利など)」で成り立っていたと考えられます。

《王府》
◆国王 琉球国中山王。琉球語で「世の主(よのぬし)」と称する。

◆王相(おうしょう) 王府内に設置された王相府の長。華僑集団「久米村」の統括者であるとともに中山王府の最高政治顧問。明朝の正五品に相当。

◆長史(ちょうし) 王府長史司の長。左右の長史2名。王を補佐、王命を伝達する。

◆典簿(てんぼ) 王府長史司に属する。公文書などを扱う。

◆千戸(せんこ) 千戸所の長。千戸所は明朝の地方軍事組織。千人の兵を統率する。琉球では名目上の職だったと考えられる。

◆通事(つうじ) 対明外交の通訳官。

◆火長(かちょう) 航海長。琉球貿易船の船長。

◆管船直庫(かんせんちょっこ) 琉球貿易船の護衛隊長。琉球人が就く。

◆梢水(しょうすい) 琉球貿易船の水夫。

◆執礼等事官(しつれいとうじかん) 王相の統括下で対外交渉に従事する官。のちの御物城御鎖之側(おものぐすくおさすのそば)とする説がある。琉球人が任命された。

《地方》
◆按司(あじ) 寨官(さいかん)ともいう。グスクを拠点に各地方に割拠する首長。

◆掟(おきて。うっち) 結制・結致ともいう。按司の下にいる各地方の行政官のような役割だと考えられる。対外貿易にも派遣される。

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先日、佐敷町の『BeNatural』というカフェに行った帰り、『佐敷グスク』に行ってみました。『グスク』というのは、沖縄の古い城のことです。ここは、琉球を統一して、王国を築いた尚思紹...
佐敷グスク【行け! 泡盛マイスター】at 2006年04月07日 00:49
この記事へのコメント
 佐敷按司時代からの尚巴志グループ(中山王側近)等にはどういう人々がいるのでしょうか、自分の親族らを言っているのでしょうか。各地の按司等 護佐丸、阿麻和利などは、歴史書には見えますが、それ以外は側近であるかどうかはわかりません。知りたいものです。
Posted by 筑登之 at 2006年03月07日 11:58
>筑登之さん

たしかに尚巴志側近は歴史書には個人名までは登場しませんが、尚真王の中央集権化まで独立性の高い按司がそれぞれ割拠する状態だったことを考えると、尚巴志も中山王であると同時に、突出した力を持ち、佐敷や首里周辺を領有する一人の「首里按司」であったということができると思います。親族はもちろん、直轄領を支える家臣たちが当然いたはずです。15世紀の首里城の記録にも数百人の兵が交代で常時警備に当たっていたとあります。これらは各地の按司から動員したものではなく、尚氏という首里按司に所属していた兵員と考えています。

「佐敷按司時代からの尚巴志グループ(中山王側近)」というのは以上のような集団を想定しています。第一尚氏時代の政権構造から考えると、確証はありませんが、そのような蓋然性が高いということです。
Posted by とらひこ at 2006年03月07日 12:46
私が幼い時に亡くなった祖父が沖縄出身です。
その祖父に聞かされた先祖の話で、強い武将だったご先祖さまを剥製にして城の外から見えるところにおいておくと、敵が怖がってだれも攻めてこなかったというものがあります。
かなり眉唾なのですが、自分には身寄りもなく誰かに聞くこともできません。
沖縄の伝説に上記のものはあるでしょうか?
ご存じでしたら、お教えください。お願い致します。
Posted by のりたけ at 2006年12月24日 05:30
>のりたけさん

人間を剥製にする風習は、沖縄では全く存在しません。そのような伝説も、僕は知りません。おそらく何か別の話がご先祖さまの話と混同してしまったのではないでしょうか。

沖縄では、かつて風葬という方法で死者を弔っていました。まず遺体を数年間放置して白骨化させ、その後骨を洗って厨子ガメなどに収め、崖下のくぼみなどに安置するという方法です。
Posted by とらひこ at 2006年12月26日 22:27
とらひこさんのブログが好きで更新されてないかとちょくちょくチェックしてましたところ知っている話が出てきたのでレスします

のりたけさんの祖父の話はおそらく「ギミンノヘイカ」のおとぎ話でしょう。 俺も小学生のころに聞いた覚えがありショッキングな内容だったのでよく覚えてます。

詳細は↓で
ttp://okinawan.jp/minwa/minwa038.htm
Posted by 向日葵 at 2007年05月24日 22:58
>向日葵さん
情報、ありがとうございます。民話のなかにこういう話があったんですね。僕は民話や伝承についてはよく知らないので勉強になりました。

ただ薩摩軍は実際には金武方面は通過していないので伝承という性格がどうやら強いようですね。
Posted by とらひこ at 2007年05月25日 20:55
15-16世紀にマラッカに達したポルトガル人の記録に、レキオ人は死んだ仲間を塩漬けにして持ち帰る風習があったと記憶しているのですが、どうでしょうか。
Posted by Tomy at 2007年09月06日 19:22
>Tomyさん

ご指摘のようにポルトガル人の記録には死亡した琉球人を塩漬けにするとあります。ただこれは貿易で海外に出張している人間が死亡した場合に、本国へその遺体を持ち帰るための緊急の措置としてとられたものです。

彼らが見た琉球人は全員王府の役人で公務として海外に出向いた人々でした。公務中の役人は生死に関わらず帰国させよという方針で、現地には葬られなかったわけです。おそらく塩漬けの琉球人は帰国後に風葬か火葬で葬られたと考えられます。

他の記録では琉球には遺体をミイラのようにして葬る風習があることは書かれていません。沖縄はエジプトやペルーのように乾燥しやすい気候ではないので、例えやろうとしてもできなかったのだと思います。
Posted by トラヒコトラヒコ at 2007年09月06日 20:57