2006年08月05日
尚巴志の野望(4)
1406年(永楽4)、思紹・尚巴志軍は中山王武寧の本拠地、難攻不落の浦添グスクに侵攻します。浦添グスクをめぐる戦いの様子については、歴史書には詳しい記述は残されていません。おそらく思紹・尚巴志軍の中核は自領である佐敷・大里など東四間切の軍勢で、そこに中山の一部の按司と、一部の久米村勢力が味方についていたはずです。琉球で最も巨大な城塞を落とすには、かなりの激戦となったことが想定されます。あるいは思紹らに内通していた久米村勢力の謀略によってあっさりと決着したかもしれませんが、真相は不明です。いずれにせよ思紹・尚巴志軍は浦添グスクを攻略して、中山王の武寧とその世子である完寧斯結を滅ぼしたのです。
近世の史書によると、徳を失った武寧は中山の按司たちから見放され、誰も救援に来なかったとされていますが、それは事実ではないと考えられます。なぜなら思紹・尚巴志が浦添グスクを陥落させ武寧を滅ぼした後、中山を完全に掌握するまでには数年を要しているからです。
1409年(永楽7)、中山王となった思紹は朝鮮王朝に使者を派遣していますが、そのなかで「武寧が死んだ後、各按司が争いを起こし、我々は連年遠征をしていたため、使者を派遣するのが遅れた」と述べています。この記述は思紹・尚巴志が中山を掌握していく過程をリアルタイムに伝えるものとして注目されます。中山の按司たちは全員、最初から思紹側についていたわけではないのです。おそらく武寧を滅ぼした後、中山は内乱状態となり、思紹・尚巴志は強大な軍事力で敵対する按司たちを次々と屈服させていったのではないでしょうか。当然、按司たちは新興勢力であった思紹らが旧来の秩序を武力で破壊したことに反感を持ったはずです。
浦添グスクを攻略した思紹・尚巴志は、やがて拠点を首里に移したとみられます。しかし、なぜ彼らは中山王都だった浦添を本拠地としなかったのでしょうか。これは旧来の伝統勢力がはびこる浦添とは一線を画す新政権の本拠地をつくるためと、国際貿易港であった那覇にアクセスの良い場所を政治拠点とするためであったと考えられます。浦添とはちがい、首里は那覇の港町全体を一望できるだけでなく、首里の高台から那覇へいたるのも容易でした。第一尚氏政権はとくに那覇の華人勢力との関係を深めていました。対外貿易上の理由にくわえ、政権と華人勢力との一体化などの問題から首里が新王都として選ばれたと考えられます。
ただし先述したように、島添大里グスクも「旧宮」として引き続き利用されていきます。第一尚氏政権は首里グスクと島添大里グスクを二大拠点に、南山の東半分である東四間切と中山の領域を支配し、さらに独立勢力久米村と親密な関係を持つ政権となり、他の二山(北山・南山)より優位な立場を確保していくのです。
近世の史書によると、徳を失った武寧は中山の按司たちから見放され、誰も救援に来なかったとされていますが、それは事実ではないと考えられます。なぜなら思紹・尚巴志が浦添グスクを陥落させ武寧を滅ぼした後、中山を完全に掌握するまでには数年を要しているからです。
1409年(永楽7)、中山王となった思紹は朝鮮王朝に使者を派遣していますが、そのなかで「武寧が死んだ後、各按司が争いを起こし、我々は連年遠征をしていたため、使者を派遣するのが遅れた」と述べています。この記述は思紹・尚巴志が中山を掌握していく過程をリアルタイムに伝えるものとして注目されます。中山の按司たちは全員、最初から思紹側についていたわけではないのです。おそらく武寧を滅ぼした後、中山は内乱状態となり、思紹・尚巴志は強大な軍事力で敵対する按司たちを次々と屈服させていったのではないでしょうか。当然、按司たちは新興勢力であった思紹らが旧来の秩序を武力で破壊したことに反感を持ったはずです。
浦添グスクを攻略した思紹・尚巴志は、やがて拠点を首里に移したとみられます。しかし、なぜ彼らは中山王都だった浦添を本拠地としなかったのでしょうか。これは旧来の伝統勢力がはびこる浦添とは一線を画す新政権の本拠地をつくるためと、国際貿易港であった那覇にアクセスの良い場所を政治拠点とするためであったと考えられます。浦添とはちがい、首里は那覇の港町全体を一望できるだけでなく、首里の高台から那覇へいたるのも容易でした。第一尚氏政権はとくに那覇の華人勢力との関係を深めていました。対外貿易上の理由にくわえ、政権と華人勢力との一体化などの問題から首里が新王都として選ばれたと考えられます。
ただし先述したように、島添大里グスクも「旧宮」として引き続き利用されていきます。第一尚氏政権は首里グスクと島添大里グスクを二大拠点に、南山の東半分である東四間切と中山の領域を支配し、さらに独立勢力久米村と親密な関係を持つ政権となり、他の二山(北山・南山)より優位な立場を確保していくのです。
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この記事へのコメント
>とらひこ様
いったい幾つブログを運営しているんですか……(笑)
このブログの存在は前から知っていて、
やたら琉球史に詳しい本格派のブログだなあと思っていたのですが、運営者があなた様と知って納得です。
いったい幾つブログを運営しているんですか……(笑)
このブログの存在は前から知っていて、
やたら琉球史に詳しい本格派のブログだなあと思っていたのですが、運営者があなた様と知って納得です。
Posted by 御座候 at 2006年08月21日 19:25
>御座候さん
ブログは3つやっています。いつのまにかこれだけ増えてしまいました。このブログははじめから読み手のことをあまり考えず、時代考証のために書いているので、自分のためのメモという感じでしょうか。
ブログは3つやっています。いつのまにかこれだけ増えてしまいました。このブログははじめから読み手のことをあまり考えず、時代考証のために書いているので、自分のためのメモという感じでしょうか。
Posted by とらひこ at 2006年08月22日 08:16



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